祖母が亡くなりました
一昨日、祖母が105歳で亡くなりました。
ここ2年程は施設に入所していましたが、それまでは実家にいて私も18歳で家を出るまで一緒に暮らしていました。
祖母の孫は私と弟のみなのですが、それでも孫を甘やかしたり猫可愛がりするような人ではありませんでした。
他人の子には会うと「お小遣いだ」とお金を渡すのに、一緒に住んでいた私たちには1度もそういった事はありませんし、いつもダメ出しばかりでした。
子供(私の母)や孫にあまり関心がない...というか、クールな人でした。
そんな祖母でしたが、マル子のことだけは溺愛しとてもとても大切にしてくれました。(あと、夫ヒロシのことも大好きでした。)
「ばぁちゃんは、マルちゃんのことが大好き!」と、マル子によく言っていました。
祖母は私のことを全く褒めることがなかったのですが...たった1つだけ、唯一褒めてくれたことがあります。こんな言葉で。
「あんたは本当に何やってもダメだったけど、子供を育てるのといい旦那さんを見つけるのだけは上手やわ。」
褒められているのか、どうなのかちょっと分かりませんけれど...それでも唯一褒めてくれた言葉なので忘れません。
入所している施設から「危ないかもしれません」と連絡を受けて、母と私とマル子で施設に行きました。
コロナ禍になってからの面会は2m離れたうえでアクリルパネル越しでしたが、全員2回以上ワクチンを接種しているという理由で、祖母がいる部屋(個室)に入れていただき、家族で看取ることが出来ました。(はじめてワクチンの恩恵を受けたと思いました。)
私たちが到着した時には、まだ少し意識があって呼びかけに頷いたり返事をすることが出来ました。
その後、数時間をかけてだんだん意識がなくなり...苦しむこともなく本当に消えていくように呼吸が止まりました。
最後の言葉は「マルちゃん(娘の名前)」でした。
私はそれを聞いて心から「よかった」と思いましたが...母は少し不満そうでした。(実の娘の自分じゃなかったことが寂しかったのかもしれません。)
マル子は、息を引き取る前からずっと手を握り続け泣いていました。葬儀の時もずっと泣いていました。
お通夜の時も母と一緒に泊まり、祖母の横で寝ました。
そんな実の娘を本当に凄いと思いました。
同時に「心から愛される強さ」みたいなのも感じました。
祖母の死に接し、母はほんの少しだけ泣き、夫ヒロシとマル子は号泣し、私は終始1滴の涙も出ませんでした。(弟も私と全く同じでした。)
こんなことを言うと、とっても冷たい人間だと思われるかもしれませんが...正直「悲しい」という感情はほとんどありません。
それは105歳という大大往生だったことと、最近祖母が「もう早く(生きるのを)やめたい」と言っていて、私はその気持ちをとても理解できたからかもしれません。
体は自由に動かなくなり、色々なことが分からなくなり、それでも全てが全く分からないわけではない。それってたぶんとっても辛い。
大好きだったテレビも理解できなくなり、趣味だったクロスワードも出来なくなった。
食べることも大好きで、大きなから揚げなども大好物だったけれど...嚥下障害によりペースト状の味の薄い食事になった。
コロナで大好きなひ孫にも、なかなか会えなくなってしまった。(時々面会には行っていたけれど、2mの距離+アクリル板なので、顔もほとんど見えないし声もほとんど聞こえない。)
そんな状況が祖母に「はやく(生きるのを)やめたい」と思わせたのだと思うと、私が同じ状況でも同じように思うと思うのです。
だから...もちろんいなくなってしまった寂しさはありますが大きな悲しみはなく、ただただ「本当にお疲れ様でした」という気持ちでいっぱいです。
「はやく(生きるのを)やめたい」と言っていた祖母ですが、施設に入所するまでの2年前くらいまでは認知症もほとんどなく、家でのんびりと自由に暮らしていました。
毎週のように実家にマル子と顔を見に行っていたし、よく一緒に食事もしていました。いつも嬉しそうにしていたし、お誕生日には毎年盛大にパーティもしていました。
そして祖母は、いつも「私は幸せだ」と言っていました。
本当はそんな幸せな状況のまま逝けたらよかったのになぁ...と思ったりもします。
それでも、患うこともなく亡くなる当日の朝までいつも通りだったこと、家族でしっかりと看取ってあげられたこと、最後の時には大好きなひ孫に手を握って泣いてもらえたことで、少しでも幸せな気持ちで旅立ってくれていたらいいな...と思います。