なぜ、そんなにも苦しかったのか【episode2】
前記事「私、こんなに苦しかったよ」の続きです。
まず、なぜあんなにも毎日が辛く、苦しかったのか。
極端な例ですが...井戸端してる人は、私を見つけたからと言って追いかけてきて殴りかかってくるわけじゃない。
私を見つけたからって、罵声を浴びせるわけじゃない。
なのに、なぜ、あんなに毎日辛かったのか。
あの集団を見るのが怖かったのか。
なぜ、家に帰ることができなくなくなったのか。
それは、自分の中の「常識」により
”道路で遊ぶ・人の迷惑になる場所で何時間もしゃべる”ということがどうしても許せない!という怒りや、理解できない!という気持ち。
自分が「絶対」だと思う「常識」を、目の前で毎日毎日破られるというストレス。
例えば、自分の友人知人に「非常識だ」と思う人がいたとして。
もし、それが嫌ならもう会わないという選択ができると思う。
だけど持ち家で、しかも自分の家のすぐすぐそばで、非常識行動を毎日されると、会わないという選択って、無理じゃない?
「自分が家にいない状況」を作るしか。
家にいられない...非常識なのは向こうなのに!あぁ、なんて弱い自分...という負のスパイラル。
そしてもう1つの理由は、自分に染み付いた価値観があんなにも自分を苦しめたという事。
学生の頃、クラスの中にどうしても浮いちゃう子っていて。
みんな、自分が「浮いちゃう子」にならないように、一生懸命だった気がする。
学校で突然言われる「2人組作って~」や、遠足や修学旅行で班を決める時など、最後にポツンって残らないように、子供ながらに心の中は修羅場だった。
そして、ポツンと残った子を見て暮らす中の皆が「かわいそう」って思う。
小さく、「私じゃなくてよかった」と思う。
そんな経験を繰り返し、「友達」とか「親友」とかを何よりも大切だと思う思春期を迎え、ポツンでいることやその他大勢と違う事は、何か「かわいそう」な事のような感覚を持つ。
そんな経験のもとに、知らず知らずのうちに出来上がってしまった
「馴染めない=かわいそう」
「その他大勢と違う=仲間外れ」みたいな感覚。
これこそが、私を苦しめたんだと、今、とても強く思う。
子供も、親同士も同じような年齢で、みんな毎日毎日何時間も一緒。
いつも楽しそうにしている。
時々、一緒に遊びに行ったりもしているみたい。
そこに入っていないのは、自分だけ。
いや...本当に苦しかったのは、そこに入っていないのは、我が子だけ。
そう、これがとても苦しかった。
なんせ、「馴染めない=かわいそう」「その他大勢と違う=仲間外れ」という価値観が、心の奥の方に、鎖のように巻きついているのだから。
自分の子供は、自分が馴染めていないせいで「かわいそう」なのかもしれない。
わが子を「かわいそうな子」にしてしまっている自分は、母親失格なんだ、って。
だけど、どうしても、この中には馴染めない。
自分のポリシーとして、人に迷惑になる行為はできない。
だけど、そんな自分のせいでわが子は...と泥沼にハマってしまった。
ダメな親だ...
一生懸命子育てしてきたのに...
だけど、全然ダメだ...私のせいで我が子は「かわいそうな子」なんだ...
私なんかが、母親でごめんねって何度思ったか。
その度にまた自分で自分を追い詰めた。
- 次へ続く -