人生の幕を閉じる日
先週末に親戚が亡くなった。血縁的には、
少し遠い親戚だけど、母も祖母も参列するため私も参列した。
故人のお人柄はもちろんだが、故人の奥様がとても社交的な方で、色々な活動や、サークルに所属していたので、奥様の知人・友人などとてもたくさんの方が参列していた。
近所の方もたくさん来ていた。
故人は年齢的にも、天寿を全うされた為、参列者もそれなりのお年の方が多かった。(故人のお孫さんを除くと、私が最年少くらいだった。)
その参列している方々の振る舞いは、なんというか...いい意味でこなれた感じで、みな大人に見える。
私は、喪服がなんとなく浮いた感じで、何度参列しても 戸惑ってしまう。
こんなことを言うのはどうかと思うが...私は正直、お葬式で故人のお顔をみるのが少し怖い。
周りの大人達は、当たり前のように、故人の手を触ったり、顔を撫でたりするが、私は、躊躇してしまう。
それは、長年一緒に暮らした祖父でさえそうだった。
「手を握ってあげて」と言われて触れた、冷たくなって 弾力がなくなった祖父の手を、怖いと感じた。
大好きだったはずなのに。
そんな自分を、とても情けないと思っている。
決して「霊」などが怖いのではなく、温かいはずの人間の体が冷たく固くなってしまう事や
生きていたはずの人がもう2度と動かなくなってしまう事、それがものすごく悲しくて怖い。
自分が年を重ねると共に、確実に葬儀に参列する機会は多くなると思う。
あと10年も経てば、私も大人たちのように、いい意味でのこなれた振る舞いができるようになるのかな。
「大人たち」などと言っているが、私も年だけは立派な大人。
だけど、こういう日常の中で、自分の不甲斐なさや、情けなさを感じる事がある。
私だって、いつか祖母を見送り、母を見送る日が来るんだろう。
平均年齢からいくと、夫を見送る事にもなるかもしれない。
いつも、泣きながら故人を見送るご遺族に、自分を重ねて胸が苦しくなる。
毎日、毎日、毎日・・・繰り返しだけれど、全員が平等に年をとる。
それは、人生の幕を閉じる日に向かって、歩いているという事。
もう少し肩の力を抜いて、もう少し笑って、その日に向かって歩いて行こうと思う。